本文へスキップ

武蔵境の歯科医院。しらかば歯科です。

電話でのご予約・お問い合わせはTEL.0422-38-7657

〒180-0022 東京都武蔵野市境1-5-3

歯科医学史

偉人

毎日少しずつ加えていきます。
石原 久(1866-1941)
 医師。東京帝国大学歯科学教室・初代助教授、初代教授。東京帝国大学医科大学卒後、第二外科(佐藤三吉)副手、助手、歯科学教室助教授、教授、名誉教授。医歯2元論者。
伊藤玄朴(1800-1871)
 江戸時代の蘭学者、江戸の三大蘭方医。農家の出。佐賀藩士・伊東祐章の養子となる。漢方医・古川庄庵、佐賀藩医・島本龍嘯、シーボルトに師事、江戸・御徒町で蘭学塾である象先堂塾を開く。神田お玉が池に種痘所を開き、後身の医学所取締となる。牛痘苗による種痘で有名。西洋内科医で初めて奥医師に指名された。
お  大石良英()
 佐賀藩の医師。シーボルトに師事。種痘の先駆者と知られる。1849年モーニッケ医師を通じて牛痘苗を入手、日本で初めて種痘を行った。
 ※佐賀藩主・鍋島直正公が種痘の実施を行った
 ※伊東玄朴、楢林宗建らが種痘を実施
大槻俊斎(1806‐1862)
 医師。お玉が池種痘所の開設、初代西洋医学所(幕府直轄)頭取。初代東大医学部総長。
緒方洪庵()
緒方正規(1853-1919)
 医師、細菌学者、衛生学者。帝大衛生学教室初代教授。
小川鼎三()
小幡英之助(1850-1909)
 米国人歯科医師エリオットに師事。1874年の第一回医術開業試験に合格した。歯科を標榜した。
 ※歯科医師ではありません。口中科ではなく歯科をはじめて標榜した医師です。
貝原益軒(1630-1714)
 江戸時代の本草学者、儒学者、医師。『養生訓』で知られる。
香川修徳(1683-1755)
 古方派の医師、儒学者。後藤艮山の弟子。精神疾患の書籍として知られる『一本堂行余医言』で知られる。
桂川甫周(1751-1809)
 奥医師、蘭学者。。解体新書(ドイツ人のクルムスの解剖書のオランダ語版ターヘル・アナトミアの日本語版)の翻訳者の1人。
後藤艮山(1659-1733)
 古方派(張仲景の傷寒論に戻り、親試実験を旨とする漢方医)を代表する医師。弟子に山脇東洋らがいる。
斎藤敬直(西東三鬼、1900-1962)
 日本の歯科医師、俳人(新興俳句運動の中心人物)。1921年日本歯科医学専門学校に入学、1925年卒業。医業とともに俳人としての活動を続ける。代表作は『水枕ガバリと寒い海がある 』など。
佐藤運雄(1879-1864)
 日本の歯科医師。日本大学専門部歯科初代歯科長(日大歯科の創設者)、日本大学学長、理事長、日本歯科医師会長などを歴任。。高山歯科医学院(1898年)卒後、米国へ留学(レーキフォレスト大学歯学部、シカゴ大学・ラッシュ医科大学卒)、帰国後東京歯科医学院や帝国大学で講師、満州へ渡り南満州鉄道大連病院長兼南満医学堂教授。
佐藤泰然(1804-1872)
 佐倉の順天堂の創立者。
佐藤尚中(1827-1882)
 下総小見川藩医山口甫僊の子、佐藤泰然の養子となり、佐藤尚中を名乗る。1860年藩命で長崎に赴き、オランダ海軍軍医ポンペに師事する。大博士となり、大学東校の校長に就任。これを辞して佐倉の順天堂を本郷湯島に移転建設した。
志賀潔(1871-1957)
 医師、細菌学者。赤痢菌の発見者として知られる。帝大医卒業後、伝染病研究所に入り北里柴三郎に師事。 慶応義塾大学教授、朝鮮総督府医院長、京城医学専門学校長、京城帝国大学医学部長・総長、北里研究所顧問などを歴任。 
嶋峰 徹()
杉田玄白(1733‐1817)
 江戸時代の医師、蘭学者。解体新書の翻訳者の1人。
高木兼寛(1849-1920)
 日本の軍人、医師。海軍軍医総監、男爵、成医会講習所(現東京慈恵会医科大学)・日本最初の看護婦育成機関である有志共立東京病院看護婦教育所(現慈恵看護専門学校)の創設者、貴族院議員、大日本医師会会長。鹿児島医学校を卒業後、海軍に入隊、聖トーマス病院医学校(現キングス・カレッジ・ロンドン)に留学している。日本最初の医学博士授与者の1人(1888年)。
 脚気の治療に麦飯を導入したり、カレーライスを海軍に導入(海軍カレー)したりした。このためビタミンの父と呼ばれ、この功績などから華族に列し、男爵となる。
竹内玄同(1805‐1880)
 医師。シーボルトに師事。お玉が池種痘所の開設。奥医師。
田代三喜(1465-1544)
 高世派医学の祖。日本医学中興の祖の1人。医聖と呼ばれる。明にわたり、朱李医学を日本に持ち帰った。1531年、足利学校で曲直瀬道三に出会い、朱李医学を伝えた。
坪井信道(1795−1848)
 江戸の三大蘭方医。宇田川玄真に師事。弟子に緒方洪庵らがいる。
手塚良仙(1826−1877)
 医師。お玉が池種痘所の開設。適塾に学ぶ。大槻俊斎の義兄。
戸塚静海(1799−1876)
 医師。お玉が池種痘所の開設。シーボルトに師事。江戸の三大蘭方医
中川淳庵(1739-1786)
 江戸時代の医師、蘭学者、草本学者。解体新書の翻訳者の1人。
永田徳本(1513-1630)
 医聖。田代三喜より朱李医学を学び、武田信虎・信玄父子の侍医となった。
名古屋玄医(1628-1696)
 古方派の医師。
楢林宗建(1802-1852)
 佐賀藩の医師。楢林流外科の5世。シーボルトに師事。種痘の先駆者と知られる。1849年モーニッケ医師を通じて牛痘苗を入手、日本で初めて種痘を行った。
は  花岡青洲(1760−1835)
 江戸時代の医師。曼陀羅華(チョウセンアサガオ)の実や草烏頭(トリカブト)などを調合した『通仙散(麻沸散)』を用い、全身麻酔下で乳がん摘出手術を行った。
 ま  前野良沢(1723-1803)
 江戸時代の医師、蘭学者。解体新書の翻訳者の1人。
 松本順(良順、1832-1907)
 佐藤泰然の次男。幕府の法眼松本良甫の養子となり、1857年、幕命により長崎でポンペに師事、長崎療養所の頭取を務めた。江戸では将軍家茂の侍医・医学所頭取を務めた。戊辰戦争では幕府軍についた。初代軍医総監。
松山棟庵(1839-1919)
 慶応義塾医学所校長(1873-1880年)、東京慈恵会医科大学創設者。1871年東大東校助教、後大教授。
※慶應義塾医学所が1880年に廃止され、松山棟庵、高木兼寛らにより成医会が作られている
曲直瀬道三(1507-1594)
 日本医学中興の祖の1人。医聖と呼ばれる。足利学校で田代三喜より朱李医学を伝授される。
山脇東洋(1706−1762)
 江戸時代の医師(古方派)。1754年、京都にて腑分けに立ち合い、1759年に解剖書『臓志』を発行する。
吉益東洞(1702−1773)
  日本近代医学中興の祖と呼ばれる医師(古方派)

アリストテレス(Aristotel?s、紀元前384−紀元前322)
 古代ギリシャの哲学者、科学者。万学の祖。プラトンの弟子。アレクサンドロス大王の家庭教師。『動物紀』には動物や人についての記載が多くみられる。
アングル(Edward Hartley Angle、1855-1930)
 近代歯科矯正学の父。アングルの不正咬合の分類、エッジワイズ法で知られる。
い  イブン・スィーナー(Avicenna、980-1037)
 イスラム文化圏のサーマーン朝(現イラン周辺)の医師、哲学者。当時のギリシャ・アラブ医学の集大成『医学典範』の執筆で知られる。医学典範はラテン語訳されカノンとしてヨーロッパ医学に多大な影響を与えた。
イーストレーキ(William Clark Eastlake、1834-1887)
 日本近代歯科医学の父。イギリス系アメリカ人。1865年、横浜で歯科を開業。1873年、オハイオ歯科大学でDDSの学位取得。1881年再来日、横浜で開業。1887年死去。弟子に長谷川保兵衛らがいる。
※青山墓地と神奈川県歯科保健センターに記念碑
ウィリス(William Willis、1837-1894)
 アイルランド生まれの医師。幕末から明治初期に日本で活躍した。
 1869年、イギリス外務省員の身分のまま、東京医学校(現東大医学部)教授に就任、大病院の指導にあたった。1870年に明治新政府はドイツ医学を採用したため、現場重視のイギリス医学のウィリスは職を辞し、イギリス外務省ももやめ、西郷隆盛・石神良策に招かれ鹿児島医学校(現鹿児島大学医学部)の校長、附属病院長に就任した。この間、高木兼實が学んでいる。1881年に帰国。
ウィルヒョウ(Rudolf Ludwig Karl Virchow、1821-1902)
 ドイツの医師、病理学者、生物学者、考古学者、政治家。
・全ての細胞は他の細胞に由来する(レマークの説)→細胞病理学の父
・白血病の発見
・静脈血栓症Virchow's triad(血管の障害・血流のうっ滞・血液性状の変化)
・公衆衛生ためにベルリンにおける上下水道の整備に尽力
・人類学、民俗学、考古学の発展に尽力
アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius、1514-1564)
 ベルギー出身の医師、解剖学者。近代解剖学の父。著書『ファブリカ:De humani corporis fabrica(人体の構造)』で知られる。
ガレノス(Galenus、129?-200?)
 ローマ帝国・ギリシャの医師。中世のイスラムやヨーロッパの医学に多大な影響を与えた。16世紀以降の医学の発展はガレノスの医学への疑問から始まったといえる。
コッホ(Heinrich Hermann Robert Koch、1843-1910)
 ドイツの医師、細菌学者。近代細菌学の父。炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者であり、細菌培養法の確立、コッホの三原則で知られる。弟子の多くが重要な研究を行っている。ノーベル生理学医学賞(1905年)
シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold、1796‐1866)
 ドイツの医師、博物学者。鎖国中の日本にオランダ人と偽って長崎の出島に入り、1824年出島の外に鳴滝塾を開設、蘭学(西洋医学)の教育を行った。多くの塾生を出し、多くの影響を与えた。
シュライデン(Mattias Jakob Schleiden、1804-1881)
 植物『細胞説』(1838年)で知られる。
シュワン(Theodor Ambrose Hubert Schwann、 1810-1882)
 組織学の父。動物の『細胞説』(1839年)、シュワン鞘、ペプシンの発見(1836年ブタの胃液から)で知られる。
ゼンメルワルツ(Ignaz Philipp Semmelweis、1818−1865)
 ハンガリー生まれのオーストリアの産科医。『院内感染予防の父』、『母親たちの救い主』と呼ばれる。カルキ(塩素水)による手洗いを提唱し、実践して産後の産褥熱による死亡率を低下させた。当時は相手にされなかったが、その理論はリスターに引き継がれた。
ち  チェーン( Ernst Boris Chain、1906-1979)
 ドイツ生まれのイギリスの科学者。ペニシリンの抽出、工場生産に成功した。ノーベル生理学医学賞(1945年)
アンリ・デュナン(Jean Henri Dunant、1828‐1910)
 赤十字社の創設者、赤十字の父。『人類はみな兄弟』で知られる。ノーベル平和賞(1901年)
ドーマク(Gerhard Domagk、1895-1964)
 ドイツの医師、細菌学者、病理学者。世界初のサルファ剤系合成抗菌薬・赤色プロントジル(1935年)の開発で知られる。ノーベル生理学医学賞(1947年)
ナイチンゲール(Florence Nightingale )
ハイデン
ウィリアム・ハーベー(William Harvey、1578-1657)
 イギリスの医師、解剖学者。近代生理学の父と呼ばれることもある。イタリア・パドヴァ大学でファブリキウスに師事し解剖学の学位を取得し、イギリスで国王の侍医をした。1628年に血液循環説を発表した。また、すべては卵から発生するとする説を発表している。
ルイ・パスツール(Louis Pasteur、1822-1895)
 フランスの細菌学者・生化学者。近代細菌学の父。自然発生説を否定(1861年)、発酵における微生物の役割の発見、クロール・ベルナールとともに低温殺菌法の発明(1862年)やワクチンによる予防接種(狂犬病ワクチンなど)で知られる。
パッフ
パラケルスス(Paracelsus、1493-1541)
 近代内科学の父。ガレノス学派を批判した。
ハリス
パレ(Ambroise Pare、1510-1590)
 近代外科学の父。フランス海軍軍医時代に銃創に対する治療法を焼灼療法から軟膏塗布療法に替え多くの患者を救った。1545年には『銃創治療法』を発表している。さらに1552年には血管結紮法を普及させ、『我は包帯するのみ、神が癒し給う』という語を残している。ガレノス学派に受け入れられ、その著作は『パレ全集』として外科学の発展をもたらした。歯科領域では口蓋塞栓子や抜歯鉗子の考案を行っている。
ウィリアム・ハンター
 イギリスの解剖学者・博物学者・産科医。
ジョン・ハンター(Jhon Hunter、1728-1793)
 イギリスの軍医。近代歯科医学の父。ウィリアム・ハンターの弟。『人の歯の博物学(1771年)』、『歯の疾病の実際論(1778年)』で知られる。私塾の門下生にエドワード・ジェンナーがいる。
 
マザー・テレサ(Mother Teresa、1910-1997)
 カソリックの修道女。本名、アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。ノーベル平和賞(1979年)
ヒポクラテス
ふ  ピエール・フォシャール
 フランスの外科医。近代歯科医学の父。『歯科外科医』でしられる。
ロバート・フック(Robert Hooke、1635−1703)
 イギリスの科学者、博物学者、建築家。フックの法則、『顕微鏡図譜(Micrographia(1665年)』、生体の最小単位をCell(細胞)と名付けたことで知られる。
ブラック(Greene Vardiman Black、1836-1915)
 アメリカの歯科医師。現代歯科医学の父(歯科保存学)。ノースウェスタン大学歯科治療学教授、歯学部長。ブラックの窩洞分類(1895年)で知られる。歯科医師教育に技工学Dental Technologyを取り入れ、技工実習を行った。
ブラック(A・D・Black)
 G・V・ブラックの息子。ノースウェスタン大学歯科治療学教授、歯学部長。
プルキンエ
ブローネマルク
フレミング(Alexander Fleming、1881−1955)
 イギリスの細菌学者。世界初の抗生物質ペニシリンの発見者としてしられる(1929発表)。ペニシリンの精製には至っていない。ノーベル生理学医学賞(1945年)
フローリー(Howard Walter Florey、1898-1968)
 オーストラリアの科学者。ペニシリンの抽出、工場生産に成功した。ノーベル生理学医学賞(1945年)
ベーリング(Emil Adolf von Behring、1854-1917)
 ドイツの医師、細菌学者。ヨードホルムの殺菌性の発見やジフテリアの血清療法で知られる。1890年にジフテリアの血清療法に関する論文を北里柴三郎と共著で発表。ノーベル生理学医学賞(1901年)
マルピーギ
ミュレル(Johannes Petrus Muller、 1801-1858)
ミラー
アル・ラージィー(Rhazes、865−925
 イランの医師、哲学者、化学者。イスラム社会を代表する医師。エタノール(酒精)の発見、製造や硫酸の研究、小児科学、脳神経外科学、眼科学など多方面の著書を残している。 
リスター(Joseph Lister、1827-1912)
 イギリスの外科医。フェノールによる消毒法で知られる。術後の創傷の化膿は細菌による汚染であるとする考えを提唱した。
レーウィンフック(Antonie van Leeuwenhoek 、1632−1723
 オランダの商人、科学者。顕微鏡により微生物(1674年)や精子(1677年)、赤血球が毛細血管を流れることを観察。微生物学の父。
レフラー(Friedrich August Johannes Loeffler、1852-1915)
 ドイツの医師、細菌学者。ジフテリア菌(1884年)、口蹄疫ウイルス(1898年)の発見者として知られる。留学時の緒方正規を指導。
レントゲン(Wilhelm Conrad Rontgen、1845-1923)
 ドイツの物理学者。X線の発見者として知られる。ノーベル物理学賞(1901年)

     
近代内科学の父 パラケルスス  1493-1541 
近代外科学の父 パレ 1510-1590
近代解剖学の父  アンドレアス・ヴェサリウス 1514-1564
微生物学の父 レーウィンフック 1632−1723
近代歯科医学の父 ジョン・ハンター 1728-1793
細胞病理学の父 ウィルヒョウ 1821-1902

あごなし地蔵
 薬師如来と異なり、村々の祠でまつられた地蔵菩薩。いろいろな病気もなおしてくれました。仏像の治したい場所を撫でるとよいとする場合が多いので、歯痛止めにご利益のあるお地蔵さまは顎を撫でられ”あごなし”地蔵になっていきます。
アポロニア(Apollonia)
 アレキサンドリアの聖アポロニアは歯科医師の守護聖人。2月9日がローマカソリック教会が決めた聖アポロニアの日。 
アスクレーピオス(Aesculapius)
 ギリシャ神話の医神。蛇つかい座。医神アポロンの子。手にもつ蛇が巻き付いた杖は『アスクレーピオスの杖(蛇杖)』と呼ばれ、WHOをはじめ医学のシンボルとなっている。子にヒュギエイアらがいる。
※ヘビは脱皮を繰り返し、成長することから生命の象徴となっている
※ヘビ二匹が巻き付いた杖は伝令・商業の神ヘルメスの『ケリュケイオンの杖』で、翼をつける場合もある
※ケリュケイオンの杖をmedical caduceusとして米国で用いているが、意匠的な要素が強いようである
※近年、ヘビ二匹に杖で医療シンボルとして用いていることもあるが、元来誤りである
エピオネ
 アスクレーピオスの妻。医術の女神。ヒュギエイア、アイグレ、パナケイア、イアソ、アケソの5柱の女神を生んでいます。
お  大国主大神
 出雲大社の主祭神。国造りの神。多くの神格をもつが、大穴牟遅神時代の稻羽之素菟の話から医療の神の側面を持つ。 
元三大師(良源、慈恵大師)
 比叡山延暦寺中興の祖。第18代天台座主。厄除け大師として知られる。
鍾馗
 端午の節句の五月人形や鬼瓦などで知られる道教の神。
神農大帝
 古代中国の三皇五帝の1人。農業、医薬の神。
す   少彦名
 国造りの神。多くの神格を持つが、医薬、酒、温泉などの神である。
蘇民将来
ディアン・ケヒト
 ケルト神話の医神。
ヒュギエイア(Hygieia
 ギリシャの医神アスクレーピオスの娘。婦人病、衛生と薬学の神。
手にもつ蛇の巻き付いた杯(壺)は『ヒュギエイアの杯』と言われ、薬学のシンボルとなっている。
白山比盗_社
 北陸・白山を信仰する白山信仰の神社が白山神社です。"はくさん”が”歯臭(はくさ)”=歯周病に通じることから一部の白山神社で歯痛止めの信仰が行われています。 また比淘蜷_が元来歯の神であったともいわれています。歯痛が収まったら萩の枝で作った箸を納める習慣があったようです。
パナケイア(panacea
 アスクレーピオスの娘。癒し、治癒を意味する。
薬師如来
 医薬を司る仏。脇侍として日光菩薩、月光菩薩を従え薬師三尊とすることが多い。眷族として薬師十二神将がいます。薬師経では八大菩薩の中には薬壺を持った薬上菩薩、薬上菩薩の兄弟がいます。
 ルカ(路加、Lukas)
 福音書記者ルカは西方教会では医師、薬剤師、画家の守護聖人とされる。日本では聖路加国際病院の聖路加がこれにあたる。